■目次

 はじめに

 【コラム】
映画『阿賀に生きる』について

序 章 日常と隣りあわせのもうひとつの世界

第1章 製作ノート 『阿賀に生きる』が日常を目指した理由(わけ)
 一、ありきたりの日常を見つめる 水俣から阿賀野川へ
 二、好意的な新聞記事が生むステレオタイプ
 三、日常と運動は水と油である

第2章 撮影ノート 日常を彩るものごと
 一、「情」がにおい立つところ
 二、映像より自由な物音の世界
 三、表情の魅力という幻
 四、人はそれぞれ固有の時を生きる

第3章 編集ノート あらゆる日常はフィクションである
 一、ドキュメンタリー映画における二つのドラマツルギー
 二、絶対的時間と相対的時間
 三、私の映画は編集台の上で生まれる

第4章 映画ノート 人は映画の中で一回限りの生しか生きられない
 一、一人歩きを始めた映画のあとをついてまわった
 二、日常を切り裂くものをどう映画で表現するか
 三、人は映画の中で一回限りの生しか生きられない

第5章 日常論ノート 世界をありのままに描くために
 一、「現代口語演劇」について 劇作家・平田オリザ
 二、「現代方言映画」について
 三、キャメラ技術の進歩は日常に肉薄できるか
 四、写真には日常が写る

第6章 現代論ノート 日常は時代を映す鏡である
 一、陳腐な類型の山を打ち崩せ クロード・ランズマン『ショア』について
 二、今さらミナマタを悲劇の象徴にするな 土本典昭と水俣病について
 三、我が日常はトウキョウにある 映画『トウキョウ』について

 あとがき

【増補第二版刊行にあたって●ドキュメンタリー・キャメラの背後】
 1 阿賀のほとりの宝もん話し  旗野秀人
 2 鮭のように 阿賀に生きる一人として  平岩史行
 3 佐藤真の本と映画のあいだで  奥谷洋一郎
 4 「緑の光線」に向けて あるいは現代ドキュメンタリー映画論  舩橋 淳



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